すないぱぁ氏プロフィール

私はCMAホルダーであり、某金融機関のクオンツアナリストだ。その傍ら、現在は当サイトでコラムを担当している。名は、すないぱぁと申す。

最近、何よりも嬉しいこと。それはとても単純なことかもしれないが、お客様からコラムの内容が端的で分かりやすい、いつも予想がズバッと当たる、質問に対して迅速且つ丁寧に返信してくれるなど日々多くのお褒めの声を頂いていることだ。

これらの生のホットな声が、日々多忙な私自身のやる気を駆り立たせ続ける原動力になっていることは言うまでもない。

私も人間なので好きな相場の地合い、得意な通貨ペア、そしてイメージ通りに動く株の銘柄はあるが、全体として言えるのはオールマイティに分析し高確率で当てる自信があるということだ。

結論を言うと、努力をしない偶然の単発的成功は長くは続かない。また、知識と実務経験だけではこの確固たる自信は生まれなかったに違いない。

では何故?いつから?どうしてずば抜けた感性や鋭い直観をもっているのか?そして強い自信が持てるようになったのか?如何にして信頼を勝ち取ることができるようになったのか?

この矢継ぎ早に浴びる質問へ回答するには、私の生い立ちから伝える必要があると言えよう。

私が当たり前に過ごしていた生活は、常人には全てが奇話にしか映らないようだ。まぁとにかく簡単に振り返ってみることにして、それを私のプロフィールとしておこう。

私の父と祖父は、それぞれ大手証券会社で債券トレーダーとして、そして母も同様にストラテジストとして活躍していた。

想像するに難くないと思うが、両親は共働きで多忙極まりなかったこともあり、幼少期は祖父の影響を多分に受けて成長した。

物心がついた頃、つまり3歳頃には祖父の完全管理の下で、株式知識の徹底的な詰込み教育が既に行われていた。

よく記憶している遊びは、トランプゲームの神経衰弱だ。皆さんよくご存じのように、52枚のカードから同じ2枚のカードを見つけるというものだ。

これを応用してやっていた独自ゲームは、銘柄認識型神経衰弱だ。この神経衰弱には100枚のカードがあり、その内50枚は銘柄名自体が、そして残りの50枚には銘柄コードと最新の業績数値を祖父が都度書いていたのだ。

ゲームは厳格に不正無く、一日数セット執り行われる。そして銘柄選定は、日々旬な情報のある銘柄を祖父が選んで随時差し替えてくれていた。

つまり、銘柄名だけを覚えていたのでは終了に至らないという、幼稚園児には難関極まるゲームであったことは言うまでもなかろう。

小学校に上がると、テレビと言えば専ら株の銘柄ニュースと経済番組しか見なかったことを覚えている。

一度、ある友人の影響からアニメ番組を付けたことがあるが、猛烈な勢いで激怒されたことを受け、それ以降怖くて一切それを付けることはなかった。

当然テレビは四六時中経済番組ばかりやっているわけではないので、その他の時間は、ラジオ短波(現:ラジオ日経)で最新のマーケット情報を入手。

また、新聞は日経3紙である日本経済新聞、日経流通新聞(現:日経MJ)、日経産業新聞の他に朝日新聞と読売新聞の合計5紙を取っていて、全て隈なく触れるよう指導されていた。

当然、小学生である私にとっては意味が分からない難解な箇所も多かったので、祖父を質問攻めにしてそれを丁寧且つ丹念に一つ一つ解説してくれたのを今でも鮮明に覚えている。

小学生にとって、普通キャッチボールと言えば野球のそれを意味するが、私の場合は正に経済のキャッチボールをしていたことになり、その点でも常人とは全く生活形態が異なっていたと言えるだろう。

中学に進学すると在宅教育もスキルアップされて、祖父の他にトレーダーの父、そしてストラテジストの母も参加する自宅内経済ディスカッションが毎朝毎晩繰り広げられるようになった。

当然のことながら、私を一端の金融マンに育て上げる戦略だったのだが、これがまたキツイ。

今までは一方的に吸収すればよい立場だった私が、今度は相手の発言を斟酌しつつ、積極的に自身の意見を端的明瞭に発信する必要性が出てきたからだ。

取り分け日本では、インプット中心の受け身な授業体系である為、こういった経験をしている日本人は極めて少数なのではないだろうかと今でも私は感じている。

この修羅場の日々も終わりを迎え、いよいよ私は西日暮里にある全国屈指の名門K高校に進学。

ご承知の通り、クラスメイトの半数以上が国内最高学府に進学する所謂『ガリ勉』集団だったので、机上だけの勉強を嘗めきって片手間にしか行わない私は非常に異質な存在であった。

何故なら、高校入学と同時に自宅での教育は、実践の運用を想定したトレーニングを行うステージに完全移行していたからだ。

まず最初に100万円を渡された。これをお前の好きな銘柄に投資せよ。そして、天井無く増やしていけというミッションだ。

通常のファンドと形態は同じで、運用成績が良ければ追加での資金投入がされるが、万一成績が悪ければ説明責任を追求されて、状況次第では資金が引き上げられてしまう。

また、納得してもらう為の運用根拠も随時伝えなければならない。そう、血のつながった親子と言えども金が絡めば真剣勝負になるということだ。

無論、未成年であるので私が運用指示を出して、それをポリシーアセットとして運用してもらうという手法だ。

正に、ファンドマネージャーとしての経験を高校時代からさせてもらったことには両親に対して感謝の念が堪えない。

ここでの3年間の実践経験が後々の人間的魅力を高めるに至っただけでなく、鋭い感性を磨き上げる絶好の機会になったということは言うまでもない。

その後、現役で日本の最高学府に進学した私は、すぐに野心家の仲間を集めて投資クラブサークルを設立。

そして、ミッションを決めて直ぐ様活動を開始した。早速私がリーダーとなり、最初にメンバーに指示したことは種銭作り。

家庭教師などの高時給アルバイトで効率良く短期間で貯めた金を持ち寄り、入学して4ヶ月経った8月には早くも株式運用を開始。

紆余曲折はあったが、98年にはFXが一般人でも運用が可能となり、更に運用範囲を拡大。好成績に加えて複利運用の効果も合間って、元手100万円から卒業の4年後には約8000万まで増やすことに成功した。

そんな折、私の携帯に一本の電話が入った。高校時代の盟友で私と同様、学生ながらファンドを立ち上げた友人からの助力を乞う報らせである。

話を聞いてみると、どうやら友人が立ち上げたファンド経営の雲行きが怪しいということであった。

端的に言うと、顧客より預かっている資金のショートが正に今、起こり始めていたのだ。

ファンドにとってこれほど致命的状況はない。ここで大きく舵を転換しなければ、友人の会社は倒産、そうなれば何よりファンドに出資している顧客は資金が回収ができずデフォルトになってしまう。

そこで友人は私の噂話を聞きつけファンドマネージャーとして、また資金運用の最適任者として私に白羽の矢を立てたのだ。

恐らく藁にも縋る気持ちだったのだろうが、私は間髪入れずに断った。

たとえ友人からの依頼と言えども、金の貸し借りは愚か恩の貸し借りも私は人生で一度たりともしたことがなかったからだ。

人間の感情に起因するプラスマイナスは、相場師にとって判断の妨げになる以外何物でもない。

このような事態を招いた要因としては、友人がお金というものを軽く見ていた結果であり、運用へのマネージメントが甘かったということに他ならない。

私は落ち込む友人に対し心を鬼にし叱咤激励をした。しかしそれでもなお涙ながらに頼み込む友人の姿に、私の心は珍しく揺れ動いた。

もしかしたらファンドに出資した方の中には、額に汗水垂らして働いたお金を投資したり、なけなしのお金を投資した人もいるかもしれない。

投資は富む者、貧する者に関わらず一筋の希望の光をそれによって見出す事に変わりはないのだ。

このときの私の判断は正しかったのか、それとも間違っていたのかは今でも分からない。

ただ一つはっきりしたことは、投資家の期待を裏切りたくないという気持ちが私には根底に強く活きているということが認識されたということだろう。

私の心を動かすのに充分な礼を尽くす友人に対し、「力になろう」と一言だけ伝え、私は早々に友人の会社へと赴いた。

到着するや否や、まず冒頭で私は友人に対して次のように言い放った。

「決してお前の為ではない、ただ俺がやりたくなったから力を貸すだけだ。だからお前が俺に恩を感じる必要も無いし、俺は自分のやりたいようにさせてもらう。」

宣言した直後には、既に私は会社の財務報告書を片手に持ち、資金の流れからマネジメント全てに目を通し始めていた。

立て直しには時間がない、やると決めたら1秒でも無駄な行動は許されない。

これは私にとって初めての経験でありとても新鮮であった。

そもそも私が投資を始めたのは誰の為でもなく自分の為であり、資金も自己資金のみであり、今までの投資運用は言わば子供の遊びに過ぎなかったのだ。

しかし、ファンドとなれば勝手が180度異なる。 顧客から資金を預かりそれを運用する。失敗は許されない。

私の肩には、数値では測ることのできない責任が一気に伸し掛かるのを感じた。

この時の気持ちは今でも忘れることが出来ない。

あれほど真剣に、そして責任を感じながらのトレードは私をある境地へと導いてくれた。幸か不幸かこの経験をさせてくれた友人には感謝をしている。

この経験により、私は達成感とも違う何か大切なものを見出せたのだ。

そして私は顧客から預かった3億程の資金をたった1人で運用し、全ての顧客に対し月利25%という運用実績を叩き出し見事友人の会社を救うことに成功した。

目的を果たした私は直ぐに友人に別れを告げた。実は、このときを境に、沸々と沸き出てくる自らの道というものを意識し始めていたのだ。

その後、大学も卒業し就職先は迷わず大手金融機関へ。勿論配属は運用の部門だ。

しかし、いざ入ってみると実際には大した奴はいないというのが率直な感想だった。

そもそも、仕事をしている目的が私は他者と全く異なっているからだ。他者は生活の為に働いているのに対して、私の目的は他にあった。

『面白味のないエリート集団』と感じるや否や、彼らとは完全に一線を置き、現在に至るまで一度たりとも付き合い残業をしたことがない。

そして、何もなければ毎日1秒の残業もせず風のように退社する。これが出来るのは、私が確固たる目的があるからだと確信している。

そのお陰で、余暇を有意義に充てることが出来ているのだ。

その余暇と言っても、目的のない行動は一切取らない。やはり、根っから運用が本当に好きなのであろう。

一年365日、睡眠時間以外は常に運用のことばかり考えている。そう、資産形成の為のトレード技術コンサルティングを行っているのだ。

選りすぐり、運用一筋の元証券マン仲間を集結させての資産運用。当初から私のノウハウで7割以上の勝率を誇っていたが、その後は更にブラッシュアップしたことで、今では勝率が驚異の9割超えだ。

暫くは仲間内で運用をしていたが、こういった噂はビックリするほど広まるのが早い。

多くの人たちから、自動売買(EA)を作ってほしい、取引手法を指導してほしいという声が高まってきた。

その期待は日を追う毎に大きくなり、私も何とかその要望に応えようと活動範囲を拡大。

では、前者から説明しよう。

自動売買ソフト開発には、私の知り合いで最高のメンバーを集めて様々なケースを組み込み開発。

しかし、長期的に見るとどんなに優れたEAであっても自動売買だけで完結することは出来ないという結論に至った(後に、自動売買ツールと私の予想とのハイブリッド型自動トレードを考案し、こちらは成功する)。

後者については、トレードスクールを開設。開設3か月もしないうちに、スクール生は300人を超えるまでに至った。

内容としては、私のトレード技術をレベル別に懇切丁寧に指導するというものだ。最初は基礎から手取り足取りお伝えし、上級者には実践的トレード手法を行ってもらう。

この体制の下、初心者を含めて多くの方はプロのトレーダーとして巣立って行ってくれた。これは指導する側にとって最高に嬉しいことなのだ。

しかし、一方で伸び悩んでいるスクール生が存在していたのも事実。

今回は、教え子の中で特に印象的だった方にフォーカスしてみよう。これ以降の話を読んでくれたら、私がどんな思いで仕事に取組み、私がどのような性格の人物であるのか少し垣間見えるのではないかと思う。

スクール生であり、且つトレード初心者である当時27歳のOLさんは、正にトレードに伸び悩む一人であった。

その年にお父様をガンで亡くし、更にはお母様が難病を患っていた。その難病の治療には多額のお金がかかる。本人曰く1年以内に5000万円が必要なのだそうだ。

幸いなことに、お父様が残した遺産が3000万円あったということで、これを元手に運用したいと私に言ってきたのだ。

先生!先生!と私のことを慕ってくれていたが、どうも実際のトレードが上手くいかない。

つまり、損切りのタイミングが掴めず、ズルズルと資産を目減りさせ、遂には半分の約1500万円まで減ってしまったのだ。

絶対に、そして一刻も早くお金を増やしたいという気持ちが完全に空回りしてしまったようで、私はこのとき自分の力不足を初めて痛感していた。

本人の心中を察すれば、正に生き地獄であったに違いない。

私はこの状況を何とかして打開してもらいたいと真剣に思い考えて、完全パック付きっ切りで指導。

そして、3か月後には何とか3500万円まで回復させることに成功した。

つまり、一時期はどん底まで落ちたのだが最終的には500万円のプラスにまで持ち直したということだ。

この時点で非常に感謝され、「あとは自分でやります!」と言って巣立っていった。

しかし私としては、この期間に目標金額である5000万円に到達させてあげたかったこともあり、その点は残念でも心残りでもあった。

それから2年の時が過ぎ、スクールも拡大し活況を呈していた頃のことだった。

あるとき、私の携帯に一本の着信が。

そう、他でもない元スクール生のOLからであった。

そして第一声。

「ご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。実は、母の難病が完治したんです!」

この言葉を聞いて、私は瞬時に察知した。つまり、私が教えたトレード技術を更に磨き上げ、自分で決めた期限内に目標の5000万円超えを達成したのだということを!

私の予想は的中、いやそれどころか詳細を伺ってみると内容は私の想像を遥かに超えるグッドニュースであった。

この2年で何と資産を1億2000万円に増やし、自分の会社も設立。今では年商20億を超える女性社長として活躍しているとのことだ。

更に、プライベートでは結婚してお子さんを授かっていた。そのとき私に言ってくれた言葉がこれだ。

「今、私は時間的にも経済的にも自由を手に入れ、そして本当の意味での幸せを毎日肌で感じています。こうして私が今あるのは間違いなく先生のお陰。先生が私の人生を丸ごと変えてくれました。そうです、先生との出会いが人生の大転換点、ターニングポイントになっていたんです!本当に心の底から感謝しています。先生、甘いもの大好きでしょ?これっ、ゴディバのチョコですから食べて下さい。」

この言葉を聞き、私は思わず涙ぐむ。

私にとって最高の褒め言葉、そして最高の幸せと充実感を味わった瞬間であった。

また、その場で直ぐに開けて食べたゴディバのチョコは、今まで感じたことがないくらい途轍もなく深い甘みを噛み締めることが出来た。

普段は冷静沈着が代名詞になっているが、ときには情緒溢れる一面もある、それが私すないぱぁの素の姿なのである。

相場の狙撃手
すないぱぁ